「色川武大・阿佐田哲也エッセイズ2 芸能」(ちくま文庫)

ちょっと長いけど引用。

 もっとも、私は楽器を手にしたこともないし、舞台に立ったこともない。ド素人中の素人で、何の芸にしろ専門家に匹敵する強い立場は望めない。今、本業じみてやっている小説にしてからが、特に勉励努力したわけでもなく、力士でいえば蹴手繰りなど使ってその日をしのぐ出たとこまかせのタイプである。そのくせ、他人の芸を眺めて自己流の評価をする。本来ならば無言がお似合いの男で、事実、内心一目おく人の前に出ると私は沈黙しがちになる。けれどもその私が唯一、よりどころにしているのは、自分は小さい頃からグレていたんだ、という矜持である。他人が学校へ行って勉強しているとき、俺は各種の個人芸を専門に見、遊びの裏側を見て育った。大きな能力を隅々まで理解することは或いはできないかもしれないが、贋物にまどわされないだけの年期は入っている。
 それは自信になっている。そうしてまた空自信でもあって、ともすれば気弱くなる自分にその言葉をくりかえして元気づけている。
中略。
私も、この物語に登場する芸人たちもその点は同じで、阿呆な所行を重ねることで空自信をつけることで生きていたと思う。
いろいろと腑に落ちて、勇気づけられるような落ち込むような嬉しいような悲しいような複雑な気持ち。空元気じゃなくって空自信か。