コミュニケーションの挫折。あたりさわりのない関係。コミュニケーション能力の誇示と恋愛資本主義。孤立を許さない社会、ミニマムな社会としての家族間でのコミュニケーションの強制と挫折。社会性。同性>異性。地域社会。友達の家族。「ともだち100人できるかな」ともだちが多いほど“良い”という価値観はいつ生まれたのか…
ともだちなんか少なくていい、嫌われてもいい/仕方が無いくらいに開き直ると楽になれる。その楽になるためのひとつの手段として「萌え」による開き直りが提示されているように思う。開き直るとオタキング言うところの余裕が生まれある種の好循環になる可能性がある(まあそのときはモテとか価値を失ってるんだけど)。
自立した価値観を持った個人にモノを売るのはコストがかかる。ともだちという集合へモノを売るほうがコストはかからない。販促ツールとしての口コミを最大限に利用するために「ともだち100人できるかな」が利用された可能性は…ないな。
「社会性」の求められるレベルが上がっている/下がっているのかわからないけど変化してきてて、いろいろなストレスが社会性の低い人に向けられてる気がする。